© Yumiko MIYAHAMA

唯我独尊、高坂鶏。

The personality of Japanese chicken "Takasakadori".

※マスプロダクションタイプ高坂鶏がスタートした、2005年3月22日農林水産大臣室での島村宜伸氏(第37代農林水産大臣)の第一声「唯我独尊」より。

Information みなさまへの
お願い

株式会社 高坂鶏農園の代表取締役 高坂由起子です。
「高坂鶏」は夫高坂英樹が2003年「スローフード関西」の、世界一美味しいと言われるブレス鶏を、日本でも研究し作ってみようという企画から生まれました。

当時、「スローフード関西」の理事であり、有機農業運動に参加していた夫高坂英樹に「白羽の矢」が立てられ、スローフード関西理事やシェフ、会員らの協力のもとでスタートしたのでした。

プロトタイプの高坂鶏が出来てから約18年、その間に黒毛和牛、乳牛、豚、黒豚、鴨、養殖魚などの飼料研究を経て、ようやく海外の方からも世界最高品質のひとつとして認められる様になりました。

現在「高坂鶏」の卸売は、契約店のみに限定させていただいております。新規のお取引は受け付けておりませんのでご了承ください。

History 高坂鶏が
生まれる
まで

知識ゼロからの挑戦

思えば、夫高坂英樹のこれまでの軌跡すべてが「高坂鶏」を生むために必要だったのです。北海道札幌市出身の夫は大阪の大学に進学、民俗学を学ぶうちに「宮沢賢治」に影響を受け、有機農業を志すようになりました。
1999年、国際時事問題を専門とする講演者「宇野正美」氏と縁あって、宇野氏が拠点としていた兵庫県丹波篠山市に別荘を構え、研究費1億円を用意して、有機農業の準備に入りました。2000年、本格的に新規就農したきっかけは、自然農法を提唱する農学者の「福岡正信」氏の一言です。福岡氏は、高坂英樹に「机上の農業だ」と叱ったといいます。

そこから全国各地への視察をスタートさせました。農法、特産物を探し、土壌の測定から客観的な数値データに基づいた「新たな農法」を目指すためです。各地の有名な農家、畜産家、水産養殖家を訪ね歩きました。

日本最北端の地「稚内」から、日本最南端の島「波照間島」まで、吉田松陰の「東北遊日記」の足跡もたどりながら、探し求めたのです。終点の波照間では、遺伝子が覚醒したような感覚が、確かにあったといいます。

2003年、有機農業運動に参加していた夫高坂英樹に「日本のブレス鶏」を研究し作ってくれないかという依頼がきました。その頃は、養鶏を全く知らなかった夫ですが、ローマの末裔ができるのなら、縄文の末裔も当然できるだろうと、簡単な気持ちで引き受けたのです。

© Yumiko MIYAHAMA

人は「うそ」をつくが数字は「うそ」をつかない

夫高坂英樹には、「高坂鶏」を生み出す上でなくてはならない恩師がいます。それは大学時代に事業を始めた高坂英樹に、厳しい教育を与えた東大出身の「金融家」です。恩師は「無知で無教養なままでは、起業する資格はない」と言ったといいます。そこで仕事に対する姿勢を叩きこまれたのです。中でも人は「うそ」をつくが数字は「うそ」をつかないという恩師の言葉は、核心そのものでした。

データ、分析、検証、理論、実践を積み重ねることが、本物を生み出す知恵なのです。また恩師には「リベラル・アーツ主義」の洗礼を受けたといいます。「リベラル・アーツ主義」とは幅広い教養とされていますが、本来の意味は知識レベルではなく、分野や領域を越えて知識を活用することです。こうした思考法があって常識では見出せない飼料設計や飼育環境が「高坂鶏」に与えられました。

宮沢賢治の言葉にも通ずるものを感じますのでご紹介します。
“みんながめいめい自分の神様が本当の神さまだと言うだろう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。それから僕たちの心がいいとか悪いとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどもしお前が本当の考と嘘の考とを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も科学と同じようになる。”

© Yumiko MIYAHAMA

辿り着いた"世界最高峰の鶏"

「高坂鶏」は必要不可欠な出会いの連続から生まれました。「赤峰勝人」氏もその一人です。赤峰氏は大分で無農薬、無化学肥料の「循環農法」で野菜を育て、自然の食べ物を通じて循環の大切さを各地で講演しておられます。食道楽で高級食材を食べつくした夫が、赤峰氏の作って下さった夕食に「初めて滋味というものがわかった」と言ったのです。「滋味」とは心が落ち着くものだといいます。その後の高坂英樹の農業、養鶏、すべての食、飼料に影響を与えたといっても過言ではありません。

「本物」はすれ違っただけでも、人を目覚めさせる力があるのかも知れません。そして食後に赤峰氏からいただいた一冊の本「千島学説」にある腸管造血説が、「高坂鶏」を世界最高峰の鶏へと導く鍵となったのです。高坂英樹の「腸」を見つめ、「血液」を謙虚に考える姿勢の元になりました。

体重の約8%である血液は、特に肝臓に与える影響が大きいことがわかり、飼料設計により糖質や脂質を増やす血液と、逆にサラサラと流れる血液のバランスを取ることに成功したことで、世界一美味しいといわれるレバーは作られました。肝臓は代謝という様々な生化学反応を持ち、ウィルスや細菌を撃退する免疫細胞を運び、血管の傷を修復する役割があります。高坂鶏はそれらを損なうことなく、理想的なバランスを実現しました。

Vision 未来を救う
新農業改革

農地改革以降、国の制度・政策に守られてきた零細農家にとって、後継者が見つからない問題は深刻です。そのため日本中で離農が進み、耕地面積はピークの昭和36年から20%も減少しています。さらに、農業委員会・認定農業者制度もいよいよ役目を終え、農家は、疲弊した農地とともに消えゆくといえるでしょう。

国が推進する先端技術を活用した「スマート農業」は「超省力化」「高付加価値化」が鍵です。スマート農業実現のためには、国や誰かのせいにして不満を募らせる側ではなく、この時代を前向きに捉える側に立つことが重要となります。そのためには、発想を根本的に変え、物事の新しい局面を見出す「コペルニクス的発想」が不可欠なのです。

高坂鶏農園では、既存の価値観や枠組みにとらわれない新機軸を創造する経営、そして革新的な発想でこれまでの常識を一変させるような価値を創造しました。いわゆる「デジタルトランスフォーメーション」です。これまでの形態を手直しするリノベーションではなく、新しく生み出すイノベーションが農業、畜産業にとって必要になります。

その結果として「高坂鶏」という高付加価値化したブランド鶏作りに成功しました。新農業改革は、IT化やドローンなど、先端技術の活用が不可欠だと考えられがちですが、ほんとうに大切なのは、「消費者の理想」を追求するところにあるのです。

© Yumiko MIYAHAMA

Company 会社概要

Opinion 公害問題に
ついて

現在の状況

兵庫県篠山の地でフランスのブレス鶏に負けないといわれる高坂鶏は作られました。しかし住民3名の苦情、市からの改善命令を受け、その不条理な訴えに「酒井隆明」丹波篠山市長を提訴することになったのです。さらに総務省公害等調整委員会に裁定を申し入れました。高坂鶏農園では鶏の糞から悪臭などしないのです。このような状況下でもほとんどの住民は真実を知っていて、兵庫県には、毎月臭気測定を行っていただき、真実を確認していただいていることが何よりもありがたいと思っています。 また、丹波篠山市議会議員 渡辺拓道氏の独自調査などの助力もあって、公害問題が存在しないことは白日のもとに晒されるでしょう。
こういった係争は大概の人にとって嫌な出来事でしょう。しかし高坂鶏農園ではそのように受け止めておりません。むしろチャンスだと感じているのです。高坂鶏が別の視点から多くの人に知られ、興味を持つ人が増えるでしょう。そこで「発言力」が与えられたと考えています。

「高坂鶏」は「ナショナリズム」に対する夫の自問自答がスタートであって、この国とこの国の人に貢献する道がここから始まるのです。金儲けがしたくて事業をしてきたわけでも、ブレス鶏が作りたくてこの道を歩んできたのでもありません。そのことを明確にしてくれたのが、今回の訴訟です。まさに転機だといえるでしょう。

そして、そのことを証明するように、様々な縁のつながりと瑞兆がすでに起こり始めているのです。これまで日本を誇りに思うも、その日本で弱さがゆえ苦しむ人々を見てきました。そんな人々に気づいてほしいことがあります。発言力をくれた「常世長鳴鳥」の化身でありたいと言う思いの「高坂鶏」に感謝するとともに、公害問題をうやむやにせず、誹謗中傷に粛々と対処する所存です。

© Yumiko MIYAHAMA

対談

環境文明研究所所長 加藤三郎氏との対談